一畳日記

もうひとつの人間観

嫌がらせの奥底にあったもの

前回の記事にいじめは受けたことないけど嫌がらせは経験あると書いた。そのことについて掘り下げる。

 

 

bjm0127.hatenablog.com

 

ざっくりいうと、中学時代、親友だと思ってた子(以下ゴリエ)から嫌がらせを受けて人間不信になったという話。もう克服はしてるつもりだけど、10年以上経った今でもあいつはどうしてるんだろうかと思い出すから、ここで吐き出せたら幸い。

 

ゴリエとは家が近く、確か小学5年生くらいから仲良くなって、中学では同じ部活に入り、いつも一緒にいて、いつも一緒に登下校していた。

いつも誰かと一緒とか今じゃ考えられないな。孤独死の対ってなんだろ、窒息死か?

 

ゴリエの様子がおかしくなったのは、中学入って割とすぐ。当時、私とゴリエゴリエの友達(優等生)3人で朝は登校していて、優等生と私はそんなに仲良くなかったから、話の中心はゴリエだったわけだが(真ん中を歩くのもゴリエ)、ある時からゴリエがその日の気分で私をシカトするようになったのだ。

 

朝、顔を見て機嫌悪そうだなと思った日は大概無視。だから私は黙る。優等生とは普通に喋るのにね。私はあーまた始まったよと思いながら過ごしてたけど、今考えたらよくそれでもゴリエのそばにいたなぁと思う。

まあ、その頃からゴリエは見た目に反してチャラい女の子とつるみだして、カースト上位に登ろうとしていたから、それも離れられなかった理由かもしれない。だってバラモン達に私の文句言われても嫌だったし。(ちなみに何故ゴリエなのかというと、浅黒さとその顔立ちから一部の男子に呼ばれていたからだ。子どもって残酷ね。)

あとはちょうどいい居場所を他に見つけられなかったのだ。

みんな固まってグループになってたから、新たに入り込める場所を見つけられなかった。

ゴリエの気分がよければ普通に会話できるし、まあいっかと思ってたのだが、中学3年に進路が見え出してゴリエと離れられると気付いてからは、やっともうお前には興味ないよという態度が取れるようになった。

 

とはいえ、それまでの2年半くらいは、本当に苦しい時間だった。

純粋だった私はゴリエが変わってしまった事が分からなかった。今日は機嫌が悪いんだなぁと思ってたけど、あれは単純に私のことが嫌いになっただけだ。私だけ無視していても、カラオケで私が歌うときだけ一番で終わらせても、私はそのうち戻ると思ってたけど、もう同じ目線で話すことは出来なくなっていたのだ。

 

ゴリエがやってることは友達としてはおかしいと気付いてからは、私は友達に恵まれるようになったと思う。心が屈折してない友達を選ぶ力が付いたとも言えるけど。

 

そう、ゴリエは屈折していた。

私がゴリエから解放されてから、人間関係で悩むことが格段に減ったことから分かるように、一連の嫌がらせについて、私に落ち度があったわけでなく、ゴリエの心の問題だったのだ。多分。

 

今思えば、当時私はゴリエ以外の人とは非常にうまくやっていたし、同級生の親御さんや先生受けも割とよかった。あまり物怖じるするタイプではなかったから授業評価も悪くなかったと思う。

今の私から見たら結構リア充なやつだったのだ。

極め付けには、ゴリエのご両親にも可愛がっていただいていたし、ゴリエ弟も懐いてくれていた。

 

ここまで書いたら勘のいい人はわかるだろう。

ゴリエの嫌がらせの奥底にあったのは嫉妬だったのではないかと。

 

誤解のないように言うが、私は嫉妬されるほどの人間ではないと自覚している。

ただ自分の中にある大切なこと

分け隔てはしない(生理的嫌悪は除く)とか、礼儀を重んじるとか、ルールは守るとか、そういうものを、まもってきただけだ。

 

歳を重ねて、挫折を味わい、劣等感を覚えてからは、昔の私は正論野郎だったなあと分かる。正論すぎると嫌われる事があるのも理解できるようになった。

 

だから多分、ゴリエにとって私は優等生で、周りからの評価も悪くなくて、一緒にいるのが辛かったのかもなぁと。

ゴリエ家族も私のことを好いているんだから、なにくそって思うのも仕方ない。

 

私は思うのだ。そういう満たされない気持ちを放っておいては駄目だと。

こればっかりは、親が無条件に無制限に愛してあげないと埋まらない。

 

虐待とか、孤児とか、あまりにも抱えているものが大きい子相手だと、容易ではないだろうけど、それでも愛を知ってる人は愛をあげていかないと人類は滅亡すると私は思う。