一畳日記

もうひとつの人間観

某絵師パクリ疑惑炎上をみて過去を振り返る

某絵師さんが絵だけでなくツイートもパクッていたという記事をみた。一連の炎上というかネット民の意見をみていて、昔付き合っていた人(A)を思い出した。ああ、世の中には評価されたくて無意識に偽ってしまう人がいっぱいいるんだなと。

Aと出会った時の印象は、明るくて健気、年齢のわりに常識を持ち合わせているなという感じだった。(3歳下)人懐こく犬のようでちょっとあざとさもあったが甘えてくる様子がかわいくて何度か話すうちにAの好意を受け入れた。いま考えれば当時の私は上京したばかりで寂しかったことと、Aを放っておけない(誰かに必要とされたい)という若干共依存チックなとっかかりで受け入れたように思う。つまり男性として好きになったかというと自信がない。

さて大変だったのはここからである。付き合うことになって数日後にAから突然躁鬱だとカミングアウトされる。こんな自分だから早く別れた方が良いと思うと告げられた。なんやそれ!病気持ちなのは驚いたが、何故、あれだけ好意を見せて近付き、成就した途端別れを選ばせるのか?今となっては、それでも別れない、好きだよ、と言ってほしかったのだろうが、当時の私には理解ができなかった。とりあえず、その場では別れないという選択をした。
その後、Aからさらにカミングアウトされた症状等はこちら。
リストカット
・健忘
共依存
摂食障害
・人間不信
・元カノの自殺
・両親の死
正直書いていて気持ち悪くなってくる。もちろんこういった症状に苦しんでいる人がというわけでなく、過去を思い出すからだ。心身健康な人間と、精神状態が不安定な人間が付き合っていくというのは不可能に近い。

冒頭に戻るが、なぜ炎上を見て思い出したかというと、AもTwitter中毒に侵されていたからだ。
付き合い始めた当初、AからTwitterをやっているかと聞かれ、昔アカウントを作ったが今は情報収集には使うけど、発信はしていないと伝えたところ、しつこくアカウント名を聞かれた。私としてはTwitterは完全個人の世界で、情報収集として使いたかったのフォローしあうことに意義を感じないとうか興味がなかったため、Aのアカウントも知らなくてよかったし話題を変えようとしたのだがAは自分のアカウントを教えてきた。
アカウント名を聞いてからその場で一度検索をかけてみたがA自身が遭遇した出来事をちょっと面白おかしく綴っている程度のもので以降Twitterをのぞくことはなかった。
それから精神不安定なAと付き合っていくうちに私はみるみる憔悴していった。それでもAの精神が安定している日は出会った当初のように前向きに頑張りたいと夢を語ることもあったため自分がどれほど精神的に追い込まれていても別れるという思考が出なかった。別れたら見捨てた人間になってしまうと心のどこかで恐れていたのもある。
しかしAに振り回されて疲れ切っていたある時、きっかけはもう思い出せないが、ふとAのTwitterを覗いたことがあった。
そこにあったのは私との会話を都合の良いように変えたツイートだった。
普段の会話もそうであるが、LINEのトーク画面もアップしており、所々私が送ったメッセージを削除していた画像もあったのだ。
「彼にとって面白いトーク画面」に必要のないメッセージは消して、いいねをもらっていたのだ。
私には理解できなかった。トークを消すことにショックはなかったが、偽ってまでTwitterで評価されたいと思う気持ちが全く分からず恐怖を覚えた。
彼女「~」
俺「~」
というような台本形式のTwitterもされており、私が言っても無い事を書かれていた。(彼女の辛辣な発言でウケを狙う系)控えめに言ってゾッとした。かなり控えめに言ってね。
この事態を経験してから基本的にTwitter内の物語は信じないようになった。

まとめ

目に見えない病気というのは根が深い。
偽りの自分で評価を貰うことに価値や快楽を感じている人を、こちら側に引き戻すのは容易でない。それぞれの過去によって形成された人格を、ただ愛するとか理解するとかそれだけじゃ戻せない。足りない。

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