一畳日記

もうひとつの人間観

注意するということ

仕事の話。

私はいま大学生と関わる仕事をしている。

彼らと仕事をしていて、感じるのはエネルギーと、器用さと、軽さ。
勉強ができて優秀で良い子ばかりです。一流大学とい言われる場所にいるだけの器用さを持ち合わせてるけど、仕事相手となるとめんどくさい。だって社畜っぽい発言かもしらんが、社会人の常識通じないんだもん。
彼らと関わるようになって3年経つかな。
返事が遅い、締め切り間に合わせない、責任のなすりつけ。
私も試行錯誤を繰り返して、自分をコントロールしながら、向き合ってきました。
でも別に指導者ではないし、勤め人の目線でいうと相手は社外の人間だし、非常識な対応をどの程度指摘して良いかわからないのです。

彼らもいずれ働き出しますから、その時、先輩や上司から学ぶでしょうし、気づくとも思います。
でもなー、それを待ってたら私がやり辛いのは変わらないんだよって。
そんなことを考え続けて、少しずつストレスが溜まっていたのですが、
先日、ほんのささいな出来事で、初めて「これからは気をつけてね」と注意のようなことを言いました。
素直に「すみません、気をつけます。」と返ってきました。けれども悶々としている。
言ってよかっただろうか、こちらに落ち度はなかっただろうか、という心配もありますが、
なんとなく、何故私が注意したのか、理解できてないようにも感じました。
教育とは、「引き出すこと」と、和田重正さんの本に書いてあった記憶があります。
もし私が彼らと正面から向き合うと決めたならば、想像力を「引き出す」必要があるのだと思います。
でもそんなことはきっと求められていなくて、働きかけても最初は軽くかわされるんだろうな、と思うと、何もできずにいるのです。
いまの私には引き出したいという愛なんてものはないんだな。

だから、真の教育者というのは、ほんとうに尊敬に値するなと。そういうお話。