一畳日記

もうひとつの人間観

3.11以降に高校で起きたクソみたいな出来事

東日本大震災から8年になる。

当時私は西日本でJKやっていたので、同じ日本で起きたことだという実感がつかみくかったのだが、
京都の大学に入ってからは、東北出身の人ともちらほら出会うようになり
ゼミが同じだったクレイジーなロン毛男(宮城出身)から
「死体の山の横を通って高校へ行った」というショッキングな話を聞いて、
こいつの人格がおかしいのも、震災を経験したショックからかな、なんて思ったりもした。

まあそんな前置きは良いとして、今回は震災当時のクソみたいな出来事を書き残したいと思う。

震災が起きたのは11日の14時頃だったと思うのだが、その時私は駅のホームで友達と電車を待っていた。

ガラケーのニュース速報か何かで友達が「東北で地震があったらしい!」と気づき、
私も急いでニュースを見て、その規模の大きさに驚いだ。
帰ってからも親が就寝間際までNHKを眺めて、青ざめていたのはよく覚えている。

クソみたいな出来事というのは、この後のことで、
実はその時期、高校では体育祭(縦割りチーム)が開催される予定だったのだが、
一部のギャルが予め決められていたチームが気にくわなかったらしく震災を口実に中止を申し出たのだ。
「こんな大変なことが起きてる時に、体育祭なんてしている場合じゃない!」と。
結果的に体育祭は中止され、目的の見えない震災関連の集会か開催された。
この事件の背景には、ギャルVS体育祭実行委員(以下委員長)の構造があったのだが、委員長とギャルは元々同じ系統の人間で、仲良い時期もあれば、すぐ喧嘩をする、めんどくさい人たちであった。
私は委員長の嫌な所も知っていたし、ギャルの浅はかさも知っていたから、どっちとも距離を取っていたけど、今回の事件に関しては委員長がかわいそうだと素直に思った。

大変クソみたいな意見を出してきたな、と思っていたのだが、
一番気にくわなかったのは、学校側がその主張を通したことだ。
偽善に気付かず、偽善を認める。
クラスメイトはそれに気づかない。
違和感を感じている人はいたかもしれないけど、誰とも共有できなかったのは、残念だった。
3年になろうとする時期だったが、この高校に入ったのは間違いだったかなと悔やんだ。

もちろん、結果的にはそういうクソみたいな偽善がまかりとおる世の中を垣間見ることができたから、それはそれでよいのだけどね。
私は私にできることを真っ当にやっていくしかない。

嫌がらせの奥底にあったもの

前回の記事にいじめは受けたことないけど嫌がらせは経験あると書いた。そのことについて掘り下げる。

 

 

bjm0127.hatenablog.com

 

ざっくりいうと、中学時代、親友だと思ってた子(以下ゴリエ)から嫌がらせを受けて人間不信になったという話。もう克服はしてるつもりだけど、10年以上経った今でもあいつはどうしてるんだろうかと思い出すから、ここで吐き出せたら幸い。

 

ゴリエとは家が近く、確か小学5年生くらいから仲良くなって、中学では同じ部活に入り、いつも一緒にいて、いつも一緒に登下校していた。

いつも誰かと一緒とか今じゃ考えられないな。孤独死の対ってなんだろ、窒息死か?

 

ゴリエの様子がおかしくなったのは、中学入って割とすぐ。当時、私とゴリエゴリエの友達(優等生)3人で朝は登校していて、優等生と私はそんなに仲良くなかったから、話の中心はゴリエだったわけだが(真ん中を歩くのもゴリエ)、ある時からゴリエがその日の気分で私をシカトするようになったのだ。

 

朝、顔を見て機嫌悪そうだなと思った日は大概無視。だから私は黙る。優等生とは普通に喋るのにね。私はあーまた始まったよと思いながら過ごしてたけど、今考えたらよくそれでもゴリエのそばにいたなぁと思う。

まあ、その頃からゴリエは見た目に反してチャラい女の子とつるみだして、カースト上位に登ろうとしていたから、それも離れられなかった理由かもしれない。だってバラモン達に私の文句言われても嫌だったし。(ちなみに何故ゴリエなのかというと、浅黒さとその顔立ちから一部の男子に呼ばれていたからだ。子どもって残酷ね。)

あとはちょうどいい居場所を他に見つけられなかったのだ。

みんな固まってグループになってたから、新たに入り込める場所を見つけられなかった。

ゴリエの気分がよければ普通に会話できるし、まあいっかと思ってたのだが、中学3年に進路が見え出してゴリエと離れられると気付いてからは、やっともうお前には興味ないよという態度が取れるようになった。

 

とはいえ、それまでの2年半くらいは、本当に苦しい時間だった。

純粋だった私はゴリエが変わってしまった事が分からなかった。今日は機嫌が悪いんだなぁと思ってたけど、あれは単純に私のことが嫌いになっただけだ。私だけ無視していても、カラオケで私が歌うときだけ一番で終わらせても、私はそのうち戻ると思ってたけど、もう同じ目線で話すことは出来なくなっていたのだ。

 

ゴリエがやってることは友達としてはおかしいと気付いてからは、私は友達に恵まれるようになったと思う。心が屈折してない友達を選ぶ力が付いたとも言えるけど。

 

そう、ゴリエは屈折していた。

私がゴリエから解放されてから、人間関係で悩むことが格段に減ったことから分かるように、一連の嫌がらせについて、私に落ち度があったわけでなく、ゴリエの心の問題だったのだ。多分。

 

今思えば、当時私はゴリエ以外の人とは非常にうまくやっていたし、同級生の親御さんや先生受けも割とよかった。あまり物怖じるするタイプではなかったから授業評価も悪くなかったと思う。

今の私から見たら結構リア充なやつだったのだ。

極め付けには、ゴリエのご両親にも可愛がっていただいていたし、ゴリエ弟も懐いてくれていた。

 

ここまで書いたら勘のいい人はわかるだろう。

ゴリエの嫌がらせの奥底にあったのは嫉妬だったのではないかと。

 

誤解のないように言うが、私は嫉妬されるほどの人間ではないと自覚している。

ただ自分の中にある大切なこと

分け隔てはしない(生理的嫌悪は除く)とか、礼儀を重んじるとか、ルールは守るとか、そういうものを、まもってきただけだ。

 

歳を重ねて、挫折を味わい、劣等感を覚えてからは、昔の私は正論野郎だったなあと分かる。正論すぎると嫌われる事があるのも理解できるようになった。

 

だから多分、ゴリエにとって私は優等生で、周りからの評価も悪くなくて、一緒にいるのが辛かったのかもなぁと。

ゴリエ家族も私のことを好いているんだから、なにくそって思うのも仕方ない。

 

私は思うのだ。そういう満たされない気持ちを放っておいては駄目だと。

こればっかりは、親が無条件に無制限に愛してあげないと埋まらない。

 

虐待とか、孤児とか、あまりにも抱えているものが大きい子相手だと、容易ではないだろうけど、それでも愛を知ってる人は愛をあげていかないと人類は滅亡すると私は思う。

 

 

 

不登校の何が悪い

年齢を重ねて、2チャンネルとかYahoo!ニュースとかSNSとか、まあ色んなメディアに触れることが多くなって、不登校の子って多いんだなーって気が付いた。

実際に不登校になってる子のTwitterも目にしたことがあるし、Skypeで話した事もあるし、不登校気味の母親の悩み投稿なんかも見たことがある。

そういうのを見るとね、思い出します。自分の中高校時代を。

私は集団からのいじめを受けたことはないし(個人レベルの嫌がらせはあるが)、先生から嫌われていたわけでもなく、
クラスカーストという言葉で表すと、おそらく真ん中くらいの女子学生だったと思うのですが、とにかく学校が嫌いでよく休んでいました。

中学生の時は、ほんとうによく休み、中3では担任からこれ以上休むと内申に響くかもと忠告された記憶があります。
忠告を受けてもなお休んだけどね。
高校は中学の時に比べると欠席回数は3分の1くらいには減ったように思うけど、それでも何かと理由をつけて休んでいたな。

で、何でこんなに休んでいたのか、今思えば、中学時代の一番の理由は居心地が悪かったからだと思います。
なにもない場所だったからか、クラスメイトの荒れ方もホントにくだらなくて。
最初に衝撃を受けたのは中1の時で、別の小学校から来たかわいい女の子(以下リカちゃん)、ボス女子(以下ボス猿)が気に入らなかったみたいで、
リカちゃんを目の前にして、明らかにリカちゃんの事を指すように「ぶりっこプリンセスがさ〜」と話を始めたり、無視したり。

私はリカちゃんとは特別仲がいいわけではなかったけど、彼女のことは普通に好きでした。色が白くて華奢で目がクリクリしていて、そんな可愛い見た目だけど、決してぶりっ子ではなくてV系とか中島美嘉が大好きで、当時漫画のnanaが流行っていて私も読んでいて、映画版nanaの話で盛り上がった事もあったかな。

リカちゃんは最近でいうとハロプログループ例えばビョーンズあたりにいても遜色ない容姿だったように思う。

そんなリカちゃんが、だんだん学校に来なくなって、一年経たず海外に留学だったか、引っ越すだったか、学校から去ってしまいました。

もう随分前の記憶なので曖昧ですが、多分ボス猿界隈からの嫌がらせがこたえたから、環境を変える選択をしたはずで、当時友達とリカちゃんの転校について意見交換をした時に、友達がもっと優しくすれば良かったと後悔していたのをよく覚えています。

いじめはリカちゃんだけでなく、ボスザルも自分が所属するバレー部内で被害にあってたり、またバレー部内で他の人をターゲットにしたり、繰り返されてました。

私はというと、いじめ被害者とは普通に接していましたが、加害者に対してやめろよ!なんて言えませんでした。だって、え?いじめてないよ?と言われるか、あとで陰口叩かれまくるってわかってたから。

なんかね、そうやってくだらない事が日常茶飯事に起こる環境にいて、根本を解決する力は自分にはなくて、先生も的外れだし、勉強だって頑張らないといけないし、部活もあるし、家でも家族が荒れてたり意味わからなくて、もうキャパオーバーでした。
だから、不登校と言われない範囲でちょくちょく休む。
本当はずっと行きたくなかったけど、母親に今日は休むって言うと不機嫌になるから言いにくかったし、休み続けると将来にひびくのも察してたから、自分なりに頑張りつつ、でもストレスは溜まる一方だから過食に走り、激太りすると。。。

話が逸れてますがここで激太りしたおかげで、今度は醜い自分が大嫌いになって、そんな体で学校行きたくない!ってなって高校もよく休んでました。

ふりかえると、感受性というか、刺激の受け皿が大きかったのかなあと思います。今だって変わってないけど。
自分が直接酷いいじめを受けたわけでもないのに、こうも悪循環に陥るものなのね。

そのぶん、大学は何とかそこそこの所に入れて、みんな遊び方が上手くて、良い刺激が多く、楽しかったな。運が良かったと思う。

とにかく、何が言いたいかというと、学校行きたくなかったら行かなくていいと思う。そしてもしできれば、これから先、手に入れたいものが何なのかよく考えて、学校以外の場所で努力してみる。
(努力の話は簡単じゃないかもしれないけど、ここでは不登校は全然悪くないって言いたいだけなので、補足的な感じで捉えてほしい。)

8月31日の夜に、って名前だったかうろ覚えだけど、そのNHKの番組が賞をとったみたいね。
それだけ、学校行きたくない子たちの問題が注目されてて、深刻なのね。
8/31に自殺してしまう子って、きっと1学期はすごく頑張ってたんじゃないだろうかと思うけど、そんなに心をすり減らしてまで学校行く必要ないんだよって、声を大にして言いたい。
命を大事にとか、生きてたらいいことあるよ、なんて眩しすぎる希望を押し付けるのは好きじゃないけど、
不登校は絶対に悪いことじゃないから、そう開き直って図太くなれると、良い連鎖が生まれるんじゃなかろうかと、そんなふうに思ってます。
3月8日の夜、華金なのに1人でブロクを綴るくたびれたOLより。

注意するということ

仕事の話。

私はいま大学生と関わる仕事をしている。

彼らと仕事をしていて、感じるのはエネルギーと、器用さと、軽さ。
勉強ができて優秀で良い子ばかりです。一流大学とい言われる場所にいるだけの器用さを持ち合わせてるけど、仕事相手となるとめんどくさい。だって社畜っぽい発言かもしらんが、社会人の常識通じないんだもん。
彼らと関わるようになって3年経つかな。
返事が遅い、締め切り間に合わせない、責任のなすりつけ。
私も試行錯誤を繰り返して、自分をコントロールしながら、向き合ってきました。
でも別に指導者ではないし、勤め人の目線でいうと相手は社外の人間だし、非常識な対応をどの程度指摘して良いかわからないのです。

彼らもいずれ働き出しますから、その時、先輩や上司から学ぶでしょうし、気づくとも思います。
でもなー、それを待ってたら私がやり辛いのは変わらないんだよって。
そんなことを考え続けて、少しずつストレスが溜まっていたのですが、
先日、ほんのささいな出来事で、初めて「これからは気をつけてね」と注意のようなことを言いました。
素直に「すみません、気をつけます。」と返ってきました。けれども悶々としている。
言ってよかっただろうか、こちらに落ち度はなかっただろうか、という心配もありますが、
なんとなく、何故私が注意したのか、理解できてないようにも感じました。
教育とは、「引き出すこと」と、和田重正さんの本に書いてあった記憶があります。
もし私が彼らと正面から向き合うと決めたならば、想像力を「引き出す」必要があるのだと思います。
でもそんなことはきっと求められていなくて、働きかけても最初は軽くかわされるんだろうな、と思うと、何もできずにいるのです。
いまの私には引き出したいという愛なんてものはないんだな。

だから、真の教育者というのは、ほんとうに尊敬に値するなと。そういうお話。

突然老いた猫がやってきた話

実家で起こった出来事について、覚えておきたくて綴ります。


先日、1匹の老いた猫が実家に入ってきたと母から連絡がきました。

田舎なので玄関のドアは開けたままということが多く、ふらっと入ってきたよう。

我が家は既にお犬さまがいたという事もあり、最初はその猫を追い出そうとしたそうなのですが、よく見るとガリガリに痩せて、毛も細く骨と皮のような様子だったそうです。

うちに入ってはダメよと軽く出そうとしても、よろよろと家に入ろうとする老いた猫の姿があまりに可哀想で、結局面倒を見ることになったらしいのですが、(お犬さまも特に文句を言わなかったらしい)

先に示したように病気を疑う容貌で、視力・聴力ともにあまり良くない状態でした。


猫は死の間際に姿を消すとよく聞いているだけに、何故実家へやってきたのか不思議でしたが、甘えて、鳴きながら母のトイレについてきたり、腕枕で寝たり、本当に可愛らしいおばあちゃん猫だったようです。

 

はい。過去形にしたとおり、そのおばあちゃん猫は、実家にやってきた約2週間後に亡くなりました。私は会ったこともないけれど、死というのは、やっぱり悲しいですね。

 

不思議な出来事だったので、色々と調べてみたところ、「死に際を悟って消える」というよりも、単に衰弱して家に戻れなくなって息絶えてしまっていたり、目が見えなくなって事故にあったり、ということかもしれないと。

そうか、それはそれで、悲しい。

そのおばあちゃん猫も、家に戻りたかったけれど、帰ることができなくて、やっとぬくもりにたどり着いて、それで安心して、眠りにつけたのだとしたら良いけれど。

 

猫は気分屋で、死に際は人目につかない場所を選んでいて、なんて言われているから、クールな印象が強かったのですが、その子が家に来てくれて、最後まで甘えていたと聞いて、とても愛くるしく思いました。やっぱりいのちはぬくもりを求めているのかな。

 

所信表明:2月の終わりに

2019年2月28日
明日から3月
街では卒業を控えた学生が同期らしき人々とぎこちなく歩いている姿をよく見かける。私には同期がいないので何だか別の世界を見ているような気分になる。羨ましさと煩わしさを勝手に天秤にかけて「人は結局孤独なのだ」と言い聞かせながら彼らを横目に黙々と歩く。

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東京駅前 きれいになりました